改修成った秋田県立博物館では、目下(2005年初夏)「風ひかる棚田」と題する企画展が催されている。稲作地でただ1つ世界遺産に認められているフィリピンのルソン島にある標高1500mに達するライステラス(棚田)に、1000年の歳月をかけて営まれてきた稲作文化に照明をあてる展観である。
 きびしい労働が思いやられる石割りや掘削の原始的な工具、同じく積年の汗と脂に磨き込まれた手づくりの耕作具や、季節の農作業に応じた素朴な用具類、肉厚な板や丸彫りの木の頑丈な家具や臼杵や米倉、さらにはシャーマンが司どる祭りや儀式の様子を伝える神像や祭器、自然との共生が偲ばれる竹製の日用品など200点のコレクションが、状況写 真とともに展示されている。
 この企画展を訪れる人は、玄関から展示室へ向うホールの床にうねうねと這う全長60mの大蛇の造形作品にまず驚かされる。直径70cmの螺旋状の骨組(ステンレス製)に米どころ自慢の稲わらの衣を着せ、名代の杉の葉をまだらにあしらった巨体である。これはモグラやネズミの天敵であるヘビを、米の神の従者とみなすライステラスの民の信仰に基づいている。同じ理由で大トカゲもまた祭器や日用品の装飾モティーフとして人気がある。博物館のインスタレーションとしてはいささか破格なこの「大蛇」は、彫刻家田辺光彰が博物館を支援する市民の協力を得て制作した作品である。彼はまた今回の企画展に、フィリピンのライステラス関係の展示品および写 真資料を提供したコレクターでもある。彼の展示は2001年の静岡市立登呂博物館に続いて2度目である。

 もともと田辺は、公共の広場に記念碑を立てる仕事(佐久、直江津、横浜)から出発し、やがて「1粒の籾は須弥山(しゅみせん=世界の中心をなす高山)のごとく重し」というアジアのおおよその民に通 用する世界観を、制作の中心に据えて活躍している。彼の主作品(野生稲の籾粒をステンレス鋳造によって巨大化した作品が多い。今回の企画展にも1点を出品)は、「野生稲の自生地保全」を提唱するメッセージとして国内はもとよりマニラの国際稲研究所(IRRI)をはじめ韓国、中国、タイ、インド、アメリカ合衆国、キューバ、オーストラリアの博物館や学校や政府機関に受け入れられている。
 今日、アジアの熱帯地方では粗暴な開発の嵐に堪えて現存する野生稲は、アジアだけではなく世界各地に普及した栽培稲の原種である。それは稲作の起点であり、発達史の証人であり、栽培と同じ語である文化(カルチャー)を念頭において言えばその理念に相当する。理念を失えば事物はやがて滅びる。野生稲の存亡は文化の命運にかかわる問題である。こうした問題意識をもつ田辺が、ライステラスという稲作の局限に身をおく民の生き方に注目し、そこで幾世代を継いで形成された文物の収集保存を思い立った意味は深い。彼は、IRRIの計らいで奥地のイフガオ族の村を2度にわたって踏査し、民家に宿泊して自然と歩調を合わせて生きる彼らの暮しと農作業をつぶさに検分した。
 美術の分野では、ルネサンス以来の伝統美とはかけ離れた時代や地域の美的表現を肯定的に評価する思潮があって、これをプリミティヴィズムと呼ぶ。この思潮は、19世紀後半から20世紀にかけてアフリカ、オセアニアおよび北アメリカの先住民の美術に美の根源を認識しようとする高揚を示した。これが現代美術に革命的な貢献をもたらしたのは記憶に新しい。現在フランスで建設中の新国立博物館には、さらに新たな収蔵品としてアジアの稲作の民の制作物が加わることとなった。その予告展示会のポスターには、今回の企画展に出品されているのと同類のイフガオ族の米の神が使われている。
 田辺は自身のコレクションについて、「これら農耕民の生活に根づいた数数のものは、農耕文化から出た鋭い光を私たちに投げかけ、〈芸〉ではなく〈生存〉のすごみを私たちにみせつける」と述べている。生存の危機に病む現代にあっては、昔ライステラスの民が表現した『ムカデを彫ったスプーン』(企画展に出品された1点)にやがて盛られるであろう1服が、口に苦い良薬になることを期待したい。