気流、海流、物流(物資の流通 )は田辺光彰のグローバルな造形構想を理解するキーワードである。気流と海流は天然の道。物流は人為の道であるが、たんに物の流通 路ではなく、たとえば中央アジアを横断する絹の道のように異文化を繋ぐ橋でもあった。気流のことは前述したので、今回は1985〜88年の制作である3つの野外記念碑について見よう。『遥かなるもの・横浜』(横浜港本牧埠頭)、『直江津』(新潟県上越市)、『SEOUL・籾・熱伝導』(韓国国立現代美術館庭園)がそれである。このうち前の2作は海流に関連する。物流について田辺が注目したのは稲作の道で、これは悠遠の昔にアジアの熱帯から季節風帯に住む大方の諸民族に生命の糧と文化の礎をもたらした源流である。
 以上3つの作品の制作は旧直江津市にあるステンレス工場で行われたので、ぼくは誘われて何度かそこを訪れた。当時この街では全国にならう緑化工事が海浜に重機を使って進んでいた。すでに整地も植樹も終えた場所もあったが、強い浜風になじめず立ち枯れた木木が目立った。ぼくらは昔海流に乗って漂着し群生したハマナスの無残な生き残りを飛び石づたいに探して散歩した。
 後に合点したことだが、田辺は制作の工程と共にこの海浜風景をぼくに見せたかったに違いない。というのは作品『直江津』は、関川河口の波静かな入江に栄える港の由緒を北前船の満帆を思わせる形態に托し、依頼主ロータリークラブが開拓する未来を高さ15m幅6mの威容で示した碑であるが、あろうことか作者はその本体をハマナスの蕾の赤紫で塗りつぶしたのであった。素材にこだわる仕事人はあまりやりたがらないことである。しかし彼のこの思い切った提案は市民に受け入れられ、海辺の植生を復活し殖やす運動となって現に続いている。植物の名は場所で覚えるとよいと言われるほど両者の縁は深い。港を賑わす遠来の客は路傍の草花で旅する土地の印象を刻み、それが見覚えのある花であればその土地に血縁に近い情愛を感ずるだろう。天然の植生を守るのは緑化のお題目や見てくれのためではなく心の問題である。

 『遥かなるもの・横浜』は、船舶用の通 信塔が立つ突堤1kmの範囲に、(1) 記念碑(塔の正面基部)(2) 花壇(塔に寄せる波形の石積み2基)(3) 石舞台(未着手)の3部作を構想している。碑は、太古に生息した帆立貝の化石に基づく二枚貝の形態で、素材のステンレスには次代に伝えるべく最新の鋳造技術が使われている。直径6m重さ15tは世界最大級であろう。2枚の貝は透き間をあけて溶接されているので風向きによっては港の活況を交えて遠い海の呼び声が伝わる。花壇は鎚1本による伝統の職人技の石積みで、直径22mの楕円形の内部に黒潮と親潮がこもごも寄せるこの浜独特の植生が復活されている。さながら現代に漂着した2隻の箱舟である。近年ぼくはここを散歩中に花壇の種子が塔の前の芝生内で発芽しているのを見つけた。それを除草せずにおくのだと語った管理人は、港の拡張によって漁場を失った浜っ子だと後に他から聞いた。

 『SEOUL・籾・熱伝導』は、オリンピックを控えたソウルの国立現代美術館の庭園を飾るために委嘱された作品である。これはわが国の文化諸般 に強い拒否反応をもつかの国としては異例である。この自体に対応する田辺の緊張は、熱伝導という美術の分野ではなじみのうすい題名によっても見てとれる。

 もともと民族や文化は、この作品の基部をなす巨大な花崗岩(韓国産)やその上に重ねられた重量 感のある鋳造ステンレス(日本製)が象徴するように、開き直れば名誉や伝統の見えない柵に囲まれた四角四面 なものである。血の通う導体には容易になり得ない。ましてやかの国では過去にわが国から受けた傷の痛みから新たな絶縁体も張りめぐらされている。こうした障壁を除けば、彼我は互いの国土に縁と金色の移ろう美しい田圃をもつ隣国である。作品の上部に掲げられた籾は両国が生命の糧と文化の礎をひとしくする証であり、熱帯からはるばる極東にまでたどりついた稲作の道を振り返る指標であろう。
 今、韓国の異例の決断でこの指標を一歩国外に立てることのできた田辺は、以後籾をテーマとしてこの道の原初を尋ねてゆく。