彫刻家・田辺光彰氏は、こうした世界的ムーブメントに先行して、美術における社会的普遍性の回復に1980年代初頭から取り組み、様々な分野から注目されてきた作家である。一連の試みの中には、作品のテーマにおける社会的普遍性の追及、そして、普遍性を伴う美の形態に対する追及が含まれている。不特定多数のだれもが重要だと思えるテーマや美しいと感じられる形態を彫刻作品として示そうとした。その答えが、「自然環境のかけがえなさ」という社会的テーマであり、「自然の形態の直接的提示」である。
 1986年、横浜港本牧埠頭のシンボルタワーに設置した、『遥かなるもの・横浜「貝」』は、かつて東京湾に生息していたホタテ貝をモチーフとする作品である。ホタテ貝という小さな自然の要素を15トンのステンレスを用い最先端の鍛造技術を恣意的に投入して巨大に拡大し、環境のかけがえなさを表現した。翌年の1987年には、この作品と対をなす『遥かなるもの・横浜「花壇」』を隣接する位置に制作する。波あるいは貝を連想させるフォルムの二基の同型の重厚な石積みに囲まれた花壇によって構成される作品だ。本牧周辺の海域に流入する暖流と寒流に着目し、フィリピン沖から暖流によりもたらされる、ハマユウ、ボタンボウフウ、テリハノイバラ、イソギク、アリューシャン沖から寒流によりもたらされるハマナス等の植物が植栽されている。いずれも本牧の海岸にかつて自生していた植物だが、物理的な必要性をはるかに上回る大規模かつ重厚で美しい石積みに取り巻かれることにより、その存在のかけがえのなさが見事に表現された。
 1988年には、上越市直江津港南埠頭佐渡フェリーターミナル前広場に、ステンレスによる「直江津」を設置する。高さ12m、重量26トンの巨大な作品は、築山の上の台座に載り敢然とした態度で何かを訴えようとするかのようにそびえ立っている。作品の表面には、雪の結晶、水瓶で表された水、山並み、市街地の形(立地)、コメ、魚など直江津に関わる自然的要素と人文的要素が記号化され、作品のシルエットには、穏やかな直江津の海岸線の形や海を意味する波の形が盛り込まれている。全体は強烈な赤紫色に着色されており、これは、数十年前まで、この地域の海岸に群落を形成していたハマナスのつぼみの色から採用された。作品下部の築山には、わずかに残った地元の自生地から種を採取し育てたハマナスが植えられている。こうして、作品にこれからの直江津の発展には自然との共生が不可欠だというメッセージが込められた。ただし、作品の目的は、周囲を行き交う人々が、「直江津」という題名の記された作品を見て、「なるほどこれが直江津なのか」と思えれば達成される。この時、作品の力強く美しいフォルムが、地域の構成要素、すなわち地域資源を祝祭的なものに変換してしまうからだ。この作品は、客観的に見た現状を精神的なエネルギーに変換する装置であり、そのエネルギーは未来を創るためのものである。また、「直江津」は、通常の装飾的な野外彫刻とは異なる社会的な影響力を発揮し注目される。作品設置をきっかけとして、ハマナスの植栽が市民運動として継続しているからだ。

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 1994年には、フィリピン・ラグナ州の国際稲研究所(IRRI)に招聘され、「籾−野生稲の発芽」を制作する。現地のラワン材を素材とし、高さ4m、幅6m、奥行き1.8mの5色に塗られた野生稲の発芽の瞬間を巨大に拡大した作品は、IRRI本部ビジターセンター内中央に設置されている。1980年代後半からの稲に関わる作品が招聘のきっかけとなった。
 IRRIは1960年に設立され、日本を含む約30の政府から資金供与を受ける大規模な研究機関で、これまで稲の多収穫品種の改良に大きな実績を上げてきた。ところが、近年発表した報告書の中で、二十一世紀初頭に、アジアの多くの国において人口爆発に伴うコメ不足を予想している。科学的見地から人類の生存に対する危機を警告しているのだが、日本の「コメ問題」に代表されるように、そのメッセージは著しく軽視している。IRRI所長(当時)のクラウス・ランペ氏によれば、研究成果に基づく科学的メッセージに芸術による精神性を付加し強化するのが、設立以来初めて、芸術家を招聘した目的である。野生稲をモチーフとする作品は、品種改良を象徴し、人類生存のためのモニュメントとして制作された。
 この招聘による作品制作は、その後大きく発展し、タイ王室に対する作品寄贈を経て、昨年バンコク郊外のプラチンブリに約2haの野生稲自生地の保全区域がタイ政府によって設定されるに至る。美術作家が関与する異例の環境保全プロジェクトとなった。

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