ここまで、「美術」の視点から「BIRD」をとらえ、そのメカニズムの解明を試みてきた。しかし、視点を「環境保全」に移し「BIRD」をとらえると、そこには全く別のメカニズムが見える。
 現在、環境保全は、自治体が行う行政施策の中で重要な位置を占め、法律に基づく社会制度として運用されるようになった。自然公園法や自然環境保全法による天然記念物、公害防止に関わる諸法などがすでに体系的に整備され、制度的には高度に完成されている。さらに、これを自治体の条例や要綱などが補完する。環境保全に対する社会的要請を背景に学術領域も発達し、日本の場合、理科系の農学部、理学部、工学部などにその専攻過程が置かれるようになった。
 しかし、現在の環境保全施策は、特に自然環境の保全に関わる分野で行き詰まりを見せつつあるようだ。公害のように直接的に人の生存や健康に関わる分野においては、施策の目的が明確で着実な成果を生み出すが、自然環境のように人との関係が抽象的な分野では、保全施策の目的があいまいになりやすい。保全施策の中には方向性を見失い迷走するものも多く見られる。とりわけ都市地域における身近な自然環境の保全を目的とする緑地保全地区のような都市計画制度は、財政や財産権に関わる諸問題から期待された成果が十分に達成されず、近年連続的に法改正が行われている。自然環境の勝ちのとらえ方が不明確なため、土地所有権買い取り等に関わる多額の財政支出をともなう保全施策を講じることが難しい。特定の場所をそこに所在する自然の価値に関して保全しようとする時、民主主義的なコンセンサスを設立させ得る根拠がなかなか見つからないという問題が生じている。
 この背景には、環境保全と行政の関係がある。行政が法律に基づく社会制度として環境保全を行うとき、そこに求められるのは客観性である。担当者によって結果が異なるようでは近代国家の社会制度に馴染まない。自然環境の保全を行う場合も、その場所に所在する自然の価値を客観的に説明できなくてはならない。ここに、自然環境の価値を客観化する技術が求められる土壌が形成された。理科系の学術領域に環境保全の専攻過程が配置されたのもこうした社会的要請が根底にあると見てよい。たとえば、都市における緑地の価値は、その緑地がもつ機能によって説明される。その機能とは、生物の棲息の場としての機能、ヒートアイランド現象の緩和機能、防音機能、レクリエーション機能、大気の浄化機能、地形的な要因などから計算される景観機能、防災機能というようなものでいずれも客観的に表現可能な性質をもつ。こうした機能の所在を根拠に、その緑地の価値が説明される。
 しかし、人が実際に自然環境を保全したいと願うときの根拠は、この種のものでないのは明白だ。その自然環境を「かけがえのないもの」あるいは「すばらしいもの」と感じるから残したと考えるのである。自治体の担当者もこうした本質的問題は、よくわかっているのだが、単に「かけがえのないものだから」「すばらしいものだから」という主観的根拠だけでは、法律に基づく社会制度の適用は困難になり、「こじつけ」と言うことさえできる客観的事実の羅列が本質と差し替えられる。このように、自然環境の保全には、自ずと限界が生じる。
 前述したように、人間とその精神が自然の一要素であるがために、外部の自然が原理的すなわち生理的にかけがえのないものとして認識され、美しく感じられるのだとすれば、自然環境の保全は、本来的には法律と科学に裏打ちされた社会制度ではなく、精神的な哲学的行為として行われるべきものなのではなかろうか。
 ここで、「BIRD」は、重大な意味をもつ。製作者の田辺氏は協力者を得て、作品設置場所の和田浜で数十種類の海浜植物の存在を確認した。しかし、この結果の科学的意味はさほど重要ではない。和田浜の海浜植物には南方系のものと北方系のものがあり、ここから暖流と寒流の影響をともに受けていることがわかった。田辺氏にとって大切なのは、海浜植物群落の客観的価値ではなく、暖流と寒流がもたらす壮大なロマンを帯びたイメージであった。そして、こうした論点に基づく田辺氏の作品構想説明は関係者のコンセンサスを実際に取り付け、作品は村の予算により制作・設置された。この結果が第一に重要である。さらに、海浜植物の保全は、法律に基づく社会制度ではなく、美術作品の放つメッセージにより果たされることになる。このメッセージが島民や開発者に受け入れられると仮定すれば、開発行為は避けられ、現在緊急的な仮題となっている海岸浸食に対する対策も講じられるだろう。そこには、法規制による強制的な保全とは異なり、自然環境のすばらしさに対する純粋な共感も生じるはずだ、第二に、この保全手法に重要性が認められる。
 このように「BIRD」は、自然環境の保全という行為の本質的メカニズムを見せる面があり、美術の視点からだけではなく、環境保全の視点からも革新的な意味をもっている。行政の行う環境保全も、自然環境に対する本質的な精神性を再認識することにより、新たな前進がもたらされるにちがいない。この時、詩人や美術作家など芸術家の果たす役割は大きく、その活躍が期待される。