ティンパニの祖先は、諸説があるようだけど、古代のギリシャやエジプト等で、ティンパニーらしき楽器を使っていたらしい。
ただ、当時の楽器は、料理で使うボウル上にくり貫いた木に、動物の皮をロープで張るという構造だったので、当然現代のように大きなサイズの楽器ではなかったようだ。
そして、15世紀にオスマン・トルコ帝国などの軍楽隊が、軍隊で使用する太鼓としてヨーロッパに伝えたのが、ティンパニーが誕生するきっかけだと言われている。
ティンパニーの基本的な構造は、丸いボウル状の本体の開口部に皮(ヘッド)を張り、そのヘッドをバチで叩くというものだが、16世紀の末頃までは、その皮(牛)の周辺に穴をあけ、そこに通
した紐を引っ張ることで、本体に張られていたそうである。
それが17世紀になって皮を丸いリング状のフープに巻き付け、そのフープを一回り大きなリムという円形状の枠で押さえ、さらにそのリムをネジを使って本体に固定して皮を張る方法が一般
的になってきたそうである。そして、ヘッドをネジで固定する方法によって、ある程度しっかりした音程が出せるようになって来たと言う。
20世紀の初めまでは、ティンパニーと言えばこのネジ式の手締めティンパニーだった。
このネジ式の楽器は、構造がシンプルなので、値段も安く、現在でも学校教育用として販売されている。
勿論チューニングがきちんとしていれば、本番で使うことも可能である。
ただ、音変えの際には、1台あたり、6〜8個のネジを均等に回して音を変えなければならないので、瞬時に楽器の音程を変える事はできない。
ちなみに、私が最初に中学校で出合ったティンパニーは、この手締めのネジ式の楽器(以後「手締め」で統一)であった。
メーカーはNikkan(日本管楽器製作所、略して「日管」)で、歴史をひも解いてみると、私がそのティンパニーを叩いていた少し前(昭和45年)に日本楽器製造株式会社(後のヤマハ)に吸収合併されたばかりで、Nikkanブランドの楽器と、YAMAHAブランドの楽器が並列して出回っていた。
当時の生意気盛りな中学生だった私は、日本語の名称を略したNikkanよりも、YAMAHAブランドに憧れた記憶がある。
話が逸れたが、その私が最初に使ったNikkanのティンパニーは、その姿に若干の問題があった。
当時も現在も、ティンパニーの本体(胴の部分)の素材は、一般的には殆どが金属・銅(コパー)かグラスファイバーで作られている。
ティンパニーの場合、低音をしっかり響かせるためにある程度の重量が必要だし、素材や加工の値段もあるのだと思うが、一般
的に本体が「銅」の方が高級品である。そして、現在販売されているグラスファイバーのティンパニーは、どれも「つや消しの銅」色に塗装されているので、オケや吹奏楽の楽器の中でそれ程違和感が無いが、当時のNikkanのグラスファイバーのモデルは、真っ白だったのである。
私が通っていた中学の弱小吹奏楽部活には、ティンパニーと言えば、そのグラスファイバーの白い楽器が2台あっただけであった。当時私の家内が通
っていた隣の学校の吹奏楽団には、本体が「銅」の「ちゃんとした」楽器が6台以上もあって、自分の周辺にティンパニーを並べて大曲を演奏していたのが羨ましく思えたものである。
当然、私は一目で素性が知れる卵を半分に切った様なこの楽器が好きではなかった。…というより、他の学校のタイコ叩きの前でこの楽器を叩くのを見られるのが好きではなかったのだ。
う〜ん。かえって話が大きく逸れてしまったが、要するにまだ大阪の万博の時代は、プロの団体はともかく、アマチュアが使用していたのは、殆どが手締めの楽器だったのである。
話を戻そう。
ティンパニーの音程をスムースに変えるという事は、楽器メーカーが作曲家から与えられた命題だったのだと思う。
そこで、本体を回転させる事でヘッドが張られて音程が変わるようにしたもの、ネジ同士をワイヤーで繋ぎ、一つのネジを回すと他のネジも回るように工夫されたもの、ネジ自体は動かさずに、リムをワイヤーで引っ張る方式等々。
そして、基本的に現在でも残っているのはリムをワイヤーで引っ張る方式であり、ワイヤーの引っ張る方法が、手元にある大きなハンドルを回す「ハンドル式」というタイプと、足の部分に付けられたペダルを踏むことでワイヤーを引っ張る「ペダル式」に分けられる。
こうした構造上の工夫によって、ティンパニーの曲の中での使用方法そのものが変化してきている。
|