トラディショナルとマッチド。2つの構え方

 私が最初に小太鼓を叩いた当時、小太鼓(スネア・ドラム)の撥(スティック)の持ち方というのは、基本的にトラディショナル・グリップであった。

 このトラディショナル・グリップという撥の持ち方は、右手と左手では持ち方が違う。
 まず右手だが、親指と人差し指で撥を軽く持って、中指・薬指・小指は、撥を包む様に構える。
 そして、左手はやはり親指と人差し指ではさむのだが、撥の方向が逆になり、中指・薬指・小指は丸く曲げ、撥を薬指の第1関節の上あたりに乗せて構える。
 この持ち方は、スネア・ドラムの前身である軍楽隊の太鼓は、行軍の時に片方の肩から吊されており、楽器は体の左側に位 置しており、打面が右に傾いていたため、左右の撥の持ち方を変える事によって、撥とヘッド(打面 )が垂直に当たるように考えられた(のだと思う)。

 私が小学校の時に叩いた鼓笛隊の小太鼓も、右肩から巾の広い布製のベルトで吊されており、打面 は右を下に大きく傾いており、歩くたびに大きく揺れていた。
 当然、オーケストラや吹奏楽等で楽器を固定して演奏する場合にも、トラディショナル・グリップで演奏するためには、楽器をやや右側を下に傾けてセッティングしなければならない。

 このトラディショナル・グリップに対して、現在日本で主流な撥の持ち方が、マッチド・グリップというものである。

 マッチド・グリップは、左手もトラディショナル・グリップの右手と同じ様に構える持ち方である。
 したがって、楽器をセッティングする際も、左右で傾けることはない。

 このマッチド・グリップが何時の頃から主流になり始めたのかというと、どうも私が大学生だった頃、今から二十数年前だったのではないだろうか。当時、私の先輩に当たる人達は、ほぼ全員がトラディショナル・グリップでスネア・ドラムを叩いていた。
 逆に言うと、このトラディショナル・グリップが上手にできない人は、決してスネア・ドラムを担当する事はなかったのだ。

 マッチド・グリップが拡がった訳

 ところが、どうも私より若い世代のタイコ叩きには、実にマッチド・グリップの人が多いのである。
 そして、あれよあれよという間にオーケストラや吹奏楽のタイコ叩きの多くが、マッチド・グリップになってしまった様な気がする。

 考えてみればオーケストラでスネア・ドラムを演奏する時には、楽器を肩から吊すのではなく、スタンドで角度も高さも固定して叩くのだから、トラデショナル・グリップである必然性は無いのかもしれない。
 また、マッチド・グリップの奏者が増えた一つの要因には、1970年代後半からのマルチ・パーカッション奏者の活躍がある様な気がする。

 このマルチ・パーカッションというのは、ステージ狭しと数多くの打楽器や、楽器とも言えない様なガラクタ(ばかりではないのだけど…)を並べ、そうした楽器を駆使して即興音楽や現代作曲家の作品を演奏するジャンルの現代音楽で、私は日本のマルチ・パーカッション奏者の草分けは山下ツトムさんだと思っているが、それ以降日本では多くのマルチ・パーカッション奏者が登場し、活躍している。

 当時学生だった私も、当然そうした影響を受け、山下ツトムさんに憧れ、レコード(CDじゃないよ)を買って、下宿のアパートで周りに迷惑がられながら大音量 で聞いていた。
 しかし、幸か不幸か私のおかれた環境ではそれ以上の方向には進むことはなかった。

 こうした傾向に、日本の音楽大学で学ぶタイコ専攻の学生さんたちがマルチ・パーカッショニストを目指し、様々な楽器を演奏しやすいマッチド・グリップに切り替えたのではないかと私は思っている。
 そして、そういう方達の指導の元、日本の吹奏楽のタイコ叩きの多くがマッチド・グリップでタイコの前に向かっているのだと思う。

 現在トラデショナル・グリップを普通に使うのは、マーチングのタイコ奏者と、ジャズのドラマーくらいかもしれない。
 マーチングのスネアも、今ではベルトや紐で片方の肩から楽器を吊す事はなく、両肩に掛けたキャリアと呼ばれる固定具で、打面 を水平にして演奏する事が多いので、いずれはマッチド・グリップに移行してしまうのかもしれない。

 私としても、オジサン・タイコ叩きの見本であるようなトラディショナル・グリップから、マッチド・グリップに変えようと思ったことがあるのだが、これがなかなか難しいのである。
 マッチド・グリップで演奏している人達は「右手と同じことを左手でやれば良いのだ」とか、「ティンパニーは両手とも同じ持ち方をしているではないか」とか言うのだが、どうしてもスネア・ドラム特有の2ツ打ちが自分のイメージにピッタリには出来ないのだ。

 もしかすると小学生の時の様に、ひたすら練習すればマッチド・グリップでスネア・ドラムが叩けるようになるのかもしれないが、今となってはそんな事に情熱が燃やせない。
 まあ、このままマッチド・グリップでスネア・ドラムが叩けないまま死んで行っても、誰も何の文句も言わないだろうし、苦情が来る訳でもないのだと思うから、それはそれで良いのだが…

山下ツトムさんは、現在ではマルチ・パーカッショニストとしてではなく、舞台や映画等の音楽監督として活躍されている。レコードのジャケットには「Stomu Yamashta」という綴りで名前が書かれている。
「Tsutomu」という発音は、西洋人にはしにくいので「Stomu」と標記するのだとライナー・ノーツに書いてあって、何となく格好良く思えたものである。
 大学生時代に、レコードのジャケットに写った山下ツトムさんが持っていたのと同じ、ラディック社のアルミ・シャフトのマルチ・パーカッション用のマレットを買ったが、未だにそのマレットが活用された事は無い。

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