出番の頻度とタイミング

 パートの振り分けって… おまえのパートはタイコだろう? って疑問を持つ人もいるかもしれない。
 だけど、オーケストラや吹奏楽でタイコ叩き(パーカッション奏者)として演奏する場合、同じタイコ族の中でも何のパートを担当するかを決めるのが、けっこう気を使って大変な作業なのである。

 オーケストラで通常演奏する曲の中には、そもそもパーカッションが編成に入っていない曲も結構ある。
 弦楽器だけの曲は勿論だが、バロック時代の曲や、モーツァルトの番号が若い方の交響曲(モーツァルトでは有名な交響曲第40番も入っていない)、現代曲でも弦楽器と管楽器のみの曲は多い。
 こういう場合、タイコ叩きには手の打ちようが無いし、「ヒマだな〜」などとぼやきながらも、あまり悩む事もないのだ。

 次ぎに、曲の中にタイコ叩きが1人だけ必要という曲だが、これはオーケストラのレパートリーの中にはかなりある。そして、この1人という場合は、必要とされている楽器は、殆どがティンパニーである。
 モーツァルトの後期の交響曲や、ベートーヴェンの交響曲、ブラームスの交響曲等々、挙げていけば切りがない。

 そして問題の2人以上タイコ叩きが必要な曲だが、これがひと括りにできないのが悩みのタネなのである。
 2人以上の場合、1人は大抵ティンパニーである。
 稀に、ニールセンの交響曲のように、ティンパニー奏者が2人という曲もあるが、大抵は1人がティンパニーで他のメンバーは何か違う楽器という場合が多い。
 他の楽器というのは、曲によって全く違うのだが、楽器の種類以上に問題になるのが出番の頻度である。

 パーカッションで出番が少なくて有名な曲は、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界から」の第4楽章で1発だけ出てくるシンバルと、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」の第4楽章でやはり1発だけ出番のあるドラかもしれない。その上、この二つの曲はどちらも音量 は限りなく小さく、響きを重視した音色を要求されるのだ。
 もし、本当に「新世界より」のシンバルだけとか、「悲愴」のドラだけ… というパートを振り分けられたら、いかに人の良いタイコ叩きと言えども、不愉快になるに違いない。しかし現実には「新世界より」の方は第3楽章で活躍するトライアングルと持ち替えるのが普通 だし、「悲愴」も前の楽章で出番がある他の楽器との持ち替えが普通だし、まあどちらの場合も有名で「美味しい」パートである。

 ほかのタイコ叩きの意見はいろいろだと思うが、私が一番やりたくないパートというのは、最初の方に少し出番があって、後は出番がないまま終ってしまうパートである。
 勿論、最初は出番がなくて、延々休みの後に最後の方にだけ出てくるパートがある曲もあるが、これは「最後の方でみんなと一緒にワ〜ッと騒いで」終われる事が多いので、気分的にはそこそこ爽快である。
 例えば交響曲などで、1〜3楽章までお休みでも、第4楽章の最後にフォルテで賑やかに…というのは「終わった感」が味わえるから耐えられるが、第1楽章で叩いた後はもう椅子に座っておとなしく演奏を聴いているしかないというのは、ちょっと耐えられないものがあるのだ。

 私は、あまり演奏会に出かけて行く事は少ないのだが、椅子にじっと座っているタイコ叩きの人を見ると、いつも心の中でエールを送ってしまう。

以前第4楽章まで出番の無い曲でステージに上った時、第2楽章で弦楽器の甘い響きと、目の前で演奏するハープの調べとにウットリとして、つい居眠りをしてしまった。
 ちゃんと出番の第4楽章までに目覚めて、演奏も問題は無かったが、後でビデオを見ると、ハープがアップになった時にすぐ後ろで寝ている姿がハッキリと画面 に表れ、他のメンバーから大顰蹙を浴びてしまった。


 得手・不得手も重要な要素

 出番があるかないかの他に悩む場合は、奏者によって楽器の演奏に得手・不得手がある場合である。

 オーケストラの場合、ティンパニーのみの曲が多いので、基本的にはティンパニーは叩けるというのがタイコ叩きの前提だと思うが、スネア(小太鼓)が苦手とか、シロフォン、グロッケン等の鍵盤打楽器は叩けないという人がいる。
 曲の編曲で、ティンパニー以外にも、鍵盤打楽器やその他のパーカッションが活躍する事が多い吹奏楽では、ティンパニー系の人、スネア系の人、鍵盤打楽器系の人…と分かれている場合もあるようだが、残念ながらオーケストラの場合、通 常のプログラムでは、それ程タイコ叩きの出番は多くないのである。

 特にオーケストラでシロフォン(木琴)が出てくる場合は、ソロ的な要素が多く「美味しい」パートなのだが、それだけに技術が要求される事が多い。ハチャトリアンの「剣の舞」や、カバレフスキーの「道化師のギャロップ」など、ソロでも演奏される事が多い曲は勿論だが、初見では何をどうやれば叩けるのかが解らない様な難曲も多いのだ。

 スネアの場合、苦手というのはロール(トレモロ)が苦手という場合が多い。
 ティンパニーのロールとスネアのロールでは、奏法が全く違うため、スネアは叩けない人もいるのである。
 逆に吹奏楽のコンクール等を見にいくと、ティンパニーのロールの方法を全く勘違い(?)して叩いているタイコの子を目にすることもある。

 そしてもうひとつ。体力的な問題も無くはない。
 一番顕著な例は、合わせシンバルである。
 よくCM等で、俳優さんが1発思いっきりシンバルを叩く場面が登場するが、現実にはあんなに無神経にシンバルを叩くなどない。それどころか、音量 と音色にバラツキが出ないようにシンバルを叩くのは、かなり神経を使うのだ。
 その上、オペラの序曲の中には、後半部分でシンバルがずっと叩きっぱなしという曲も多い。
 安いシンバルはともかく、ちゃんとした楽器は合金製で重さもあるので、何分も続けて演奏すると重さで腕が動かなくなってくる場合もある。
 これを練習不足だと言う人もいるが、シンバルを延々と叩き続ける練習の環境などアマチュアには与えられない。(与えられても、やりたく無いが…)

 こうした、出番の頻度、その楽器の得手・不得手に加えて、何のパートが「美味しい」かなど…、演奏以前の時点でタイコ叩きは悩んでいるのである。

以前モーツァルトの「そりすべり」という曲でムチのパートを担当した。私が使った『ムチ』は、振り下ろす事でバネで止まった二枚の木の板がぶつかり合う楽器だった。
 結構全曲で出番があり、重さと板のぶつかる反動が結構腕に応えた。そして一通 り演奏が終わって指揮者がアンコールでもう一度「そりすべり」選んだのだが、途中で右腕が痛く『ムチ』を振れなくなり、仕方なく途中で左手に持ち替えて何とか最後まで演奏したことがある。
 アンケートで「何で途中で持ち変えるのかと」質問されてしまった。

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