私はこの東北の地の深い「農」それも畑作の象徴となるほどのものでなければならないと考えた。それは過去、現在、未来につながるものであり、しかも世界的な大きな流れのなかでの表現でなければならない。
 私はここ十数年、日本の村々を歩き、最近では東南アジアの最深部の村を歩いているが、この機会に日本の古来からの「農」についてよく考えてみた。そして造形物にしたとき一体どのようなものが象徴としてふさわしいかと、稲作以前から最も人々につくしてきたものを模索した。それは雑穀であった(ちなみに東アジアの文明を支えてきたものは、イネ、キビ、アワなのである)。
 このように過去に於いて雑穀は高く評価され重要な役割を果 たしてきたが、我が国は、興隆とともに飽食の時代とも言われるほどになり、めまぐるしく嗜好がかわり、又各国から食品が流れ込み農家を悩ませている。そして世界では、アジア、ラテンアメリカ、アフリカ、又民族間の抗争の中でじわじわと飢餓が広がり、人口も爆発的に増え(現在、地球上に58億5千万人、それが21世紀半ばになると100億人、ほぼ倍増すると予測される)、そして工業化による農地と農民の激減は世界の「農」のゆくえに大きな問題をなげかけ21世紀が近づくなかでの苦悩が見られる。
 このような中での未来を支える切り札のひとつとして、今ふたたび「雑穀」に世界の注目が寄せられている事実がある。

制作にあたり
 粟の穂をモチーフとして構想を進めたが、この形は古来より「豊穰」の印であり、又非常に大切にされてきたものである。
 今回の作品では2つの部分からなるもので、

 1. 長さ約30m、高さ70cmの粟の穂を大地に造形化し、その中と周辺に粟、ヒエ、そばなどの種をまいている。
 2. 石とそのうえに水たまり(湖を意味している。又十和田湖に関連をもたせている)とステンレスで粟の穂を造形化している。
 これら1と2とその周辺に野生植物(雑草、鳥や昆虫も入る)が混在している。
 見る人は始めステンレスの粟の穂に注目するだろう。しかし次第に野生植物の大地の中に渾然としているが、しかしはっきりとした輪郭をもつ巨大な穂を見るだろう。そしてこれらは畑の大地と共に山々に囲まれ、 人間の生存とその鍵を握る原始の豊穰さを秘めた象徴として存在していくことだろう。そして又この事は、この東北の地のこの大地の豊穰さが失われないよう、存在しつづけなければならない運命にもある。
1997年9月  彫刻家 田 辺 光 彰
 


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