爬虫類・MOMI-2006(野生稲自生地保全)photo Mitsuaki TANABE

「野生稲の自生地保全」を訴える彫刻家田辺光彰の今回の新作は3か月ほど前に誕生し、貴国のビル・ウィザーズ公使閣下の臨席を仰いでわが国における除幕式を行いました。富士山を望む高原のホテルの庭で時あたかも満開の桜の下に全容を現したステンレス製の巨大トカゲは、参列者の驚きを誘わずにはおきませんでした。これは、今日この場で初めて作品を見る皆さまも同様でありましょう。
 地球環境の悪化と、自然との離反による無知と偏見が災いして、共に将来の絶滅が危ぶまれる野生稲と爬虫類の仲間であるトカゲ ―― この作品はこうした暗い命運が予測される生物への悲歌ではなく、逆に起死回生を約束する不敵でたくましい野生を賛美する表現であるのが驚きの一因であろうと思います。
 もともとトカゲは敏捷で陽光を好み、冬眠と脱皮を行う動物として、美術では太陽と復活の象徴表現を担ってきました。古代の墓碑や骨壺に刻印されたトカゲ像は、光明の神アポロに導かれて冥界を素早く通 過したいとの願いを表していると言われます。中世キリスト教美術では、主の栄光を慕う者としてトカゲ像を好んで燭台の装飾に用いました。
 19世紀末から20世紀にかけて西欧各地で起った分離派運動のうち、とくにウィーンでのそれはこの由緒ある象徴主義を継いでいます。現存する分離派館の正面 扉には「時代には時代の芸術を 芸術には芸術の自由を」との銘文の下に、魔除けのメドゥーサのおどろおどろしい首と、芸術新生の光にあこがれる一対のしなやかなトカゲ像が刻まれています。おそらく田辺のトカゲ像にも、公共の理念形成のさきがけとなるべき芸術本来の使命を、現代に甦えらせようとする決意がこめられているものと思います。
 長さ約19メートル、重さ約11トンのこの巨大トカゲは、「野生稲の自生地保全」を提唱する作者の専門知識の深さはもちろん、志の高さ、心の広さ、夢の大きさを示唆していると言えます。熱帯の原野に茂る稲の父なる「雑草」を、自生地である沼沢地の環境や生態系を損なうことなく保全しようという壮大な提案が、たとえば花壇や温室や庭園の中に選別 された動植物だけを集めて守り育てようとする発想とは時限が違うことに思いを致せば、巨大トカゲの示唆は納得されるでしょう。静岡県清水の実業家のメンバーが田辺の芸術に注目し、長年にわたって彼を支持してきた理由がここにあります。彼らが田辺を軸にして集まり、おのれの存在理由を掛けて公共のために何ができるかを熱く語り合う席に、私も一度ならず参加したことがありました。今日ここにメンバーの念願が叶って彼らのボランティア精神を形にすることができたのは同慶の至りであります。
 そればかりでなくこの作品が、尊敬するグェネスとティム・ネバード夫妻の献身的な努力によって見事に結実した「マリーバ湿地帯財団」に受け入れられることになったのは記念すべく誇らしい光栄です。オーストラリアの自然の精髄であると絶賛されるこの地で、自然を体験し学び会得する多くの人びとは、同時にこの巨大トカゲからも必ずや地球の好ましい環境を復活再生する自信と勇気を受け取ることになるでしょう。
 田辺は制作に木、石、金属など各種の素材を手がけています。たとえば石の制作では現在ダーウィン郊外で、州政府の許可を得て巨大な自然石に鑿と槌とで挑戦する力仕事を行っています。一方金属では今回のステンレス圧延や、また別 の場合にはステンレス鋳造といった工業技術と提携する制作が少なくありません。それによって芸術が工業技術の向上に資するのはむろんです。今回の制作に進んで協力を惜しまなかったのは工業都市川崎にある(株)カトウでありました。
2006.6