おさけの話


 お酒について書かれたエッセイなどは勿論だが、読んでいてそこで登場するお酒が無性に飲みたくなる小説がある。
 そうしたお酒を手に入れてきて、グラスを片手にそんな本をもう一度読み返したりするのも楽しいのだ。

 ギムレットの海(オキ・シロー:著)

 オキ・シローさんの文章を初めて読んだのは、飛行機の中だった。

 こんな風に書き出してしまうと、私が普段飛行機をよく使うような生活をしてるのかと思われると困るのだが、もちろんそんな事はない。航空会社各社では飛行機の中で読むような機内誌という雑誌が用意されているが、何かの用でたまたま乗った全日空の機内誌『翼の王国』に、オキ・シローさんの「フライト・カクテル・ストーリー」が載っていたのである。
 月刊誌や週刊誌と違い、航空会社の機内誌は毎号続けて読む事は少ないからであろうが、この「フライト・カクテル・ストーリー」は毎回読み切りのショート・ストーリーであった。

 私が飛行機に乗る状況は、まず仕事ということはないので、当然一杯飲んでいる。
 そして、そうした雰囲気に、オキ・シローさんのお洒落な文章がピッタリで印象に残った。
 しかし、前述したように、私が飛行機(全日空)に乗る機会など、そんなにある訳ではないので、この『翼の王国』でオキ・シローさんの文章を読んだのは残念ながら二度ほどであった。

 ある日、本屋の本棚の中でオキ・シローさんの単行本「ギムレットの海」が出ているのを見つけて、さっそく購入して読んだ。この本がたまたま『翼の王国』に連載されていた「フライト・カクテル・ストーリー」のショート・ストーリー集だった事もあって、何だか懐かしい本に巡り合った様な気がしたのと同時に、一話一話に登場するカクテルと、そのカクテルを中心に語られるお洒落な世界にハマッてしまった。
 各話の最後にはそのカクテルのレシピやお酒についてのガイドも書かれている。

 この本に続いてオキ・シローさんの本をいろいろ読んだが、どれも読み終える(読んでいる時も)と無性にカクテルや洋酒が飲みたくなる。

「優しい口当たりと、かすかな苦味。−」
 これはこのシリーズの続刊を紹介する宣伝文句だが、まさにこんな言葉がピッタリくるお話である。


 ふたたびの、荒野(北方謙三:著)

 北方謙三さんの小説は、どれも男の生き様と誇りに満ちていると思う。
 それは、数多いハードボイルト小説だけに言える事ではなく、時代小説や歴史小説においても同様である。
 そして北方さんが描く主人公たちは、自分自身が信じるものの為に戦う強さを持っているだけでなく、限りなく優しい。

「ふたたびの、荒野」は、『ブラディ・ドール』シリーズ最終となる第10巻である。
  このシリーズは、ある街を舞台に、酒場ブラディ・ドールの経営者である川中良一を中心に、街に引き寄せられるように集まる男たちの生き様が、一人称で語られる。
 シリーズ10冊(「さらば荒野」「碑銘」「肉迫」「秋霜」「黒銹」「黙約」「残照」「鳥影」「聖域」「ふたたびの、荒野」)全て好きで、何度も読み返しているのだが、シリーズ完結の途中で死んでいった男たちへの思いが、この最終巻に込められているように思える。

 酒場が舞台の中心的な場所となるのだから、当然『お酒』が出てくる。
 北方さんは、ハードボイルド小説に必要な男の小道具として、車と酒を上げていたと思うが、この『ブラディ・ドール』シリーズでも、主人公の川中良一をはじめ、登場人物たちはみんな個性的なお酒を飲む。
 また、お酒の種類だけではなくて、その飲み方も個性的に書かれている。

 よく『やくざ映画』を見た観客が、肩を怒らせて出て来るという話しを聞くが、北方さんの小説もとても影響力が強いのだと思う。
 私は北方さんの本を読み終えると、いつも無性に悲しさを感じて、ウイスキーを咽に放り込むように飲む。

 一度、登場人物たちが飲んでいるお酒を書き出してみたいと思っているのだが…


 男の作法(池波正太郎:著)

 池波正太郎さんの代表的な小説というと、何と言っても「剣客商売」、「鬼平犯科帳」、「仕事人・藤枝梅安」の三つのシリーズだと思う。
 これらはどれも大ベストセラーであり、テレビや映画で映像化もされているので、改めて説明の必要など無いであろう。

 また、池波正太郎さんの酒と食の道楽は相当なものだったようであり、江戸時代から伝えられる四季折々の料理などに関する本も出版されている程で、小説の中でも、その料理の内容に思わず唾を飲み込むような表現がしばしば表われる。

 上の三つのシリーズでは、主人公達はいずれも美味しそうに酒を飲み、素朴ではあるが、季節感あふれる素材を活かした料理に舌鼓を打つ。
 中でも、私は「仕事人・藤枝梅安」のシリーズの中で、藤枝梅安と彦次郎の二人が食する「料理」は、普段我々が口にはしないようなシンプルな料理ではあるが、人を殺す事を生業としている二人の緊張感が解ける情景と相まって、私も実際に作って食べながら日本酒を飲みたくなる。

 で、「男の作法」という本についてだが…。

 この本は小説家である以前に、一流の男性であろう池波さんの、現代に生きる男に対する、昔ながらの『男の生き方』や『男の常識』をつたえる語り書きである。

 この本の中では、食べ物屋に入った時の事から、服装、人付き合い、住まい、酒の飲み方や、浮気についてなどまで、池波さんの人生観というかダンディズムがちりばめられている。

 特に酒を飲み方などは、何度読み返してみてもウ〜ンと唸ってしまう。
 逆に言うと、何度読んでも自分の身に付かないのである。
 まあ、池波さんと私とでは全然違う人間なのだから、無理して真似をする必要もないと思うが、そろそろ分別 のある飲み方も出来るようにならなければいけないような気もする。


 ザ・ウイスキー・キャット(C.W.ニコル:著)

 テレビなどでお馴染のC.W.ニコルさんは、イギリスの南ウェールズで生まれ、カナダでの海洋ほ乳類の調査や、エチオピアの国立公園設立等の仕事に携わった後、現在は日本国籍を取得して、長野県の黒姫高原に住んでいる。
 ナチュラリストの顔ばかりがクロ−ズアップされがちなニコルさんは、作家としてもいろいろなジャンルの作品を書いており、自然と同様にこよなく愛しているというウイスキーをテーマ(って言っていいのかな?)にした本も何冊か出版されている。

 この「ザ・ウイスキー・キャット」は、スコットランドの老舗ウイスキー蒸留所(酒蔵)で飼われているネコが主人公で、このネコの目を通 して、ウイスキーの蒸留所で働く男達や、スコットランドに住む鳥や獣の姿が生き生きと描かれている。
 主人公のネコは、蒸留所でウイスキーの原料となる大麦をネズミから守る大切な『仕事』を通 して、恋愛や、蒸留所で働く男たちとの友情によって、やがて立派な「ウイスキー・キャット」として成長していく。

 ちなみに、スコットランドの蒸留所では、実際にネズミを退治するためにネコが飼われているそうで、そのネコの事を「ウイスキー・キャット」と呼んでいるそうである。
 また、この本にはスコットランドの風景や蒸留所、そしてそこで働く(?)ネコの写 真がたくさん収められている。

 私はスコットランドへは行った事はないが、頑なにウイスキー作り続ける蒸留所と、そこで働く男たちの情熱、素朴なスコットランドの風景が、ニコルさんの優しい語り口から伝わって来る様な気がする。
 私がシングル・モルトを飲み始めるきっかけとなった本の一つである。

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