演奏会のプログラムから
 

 いつもアンサンブルSAKURAを暖かく見守ってくださっている、乾先生。練習時は高石先生のピンチヒッターとしてご指導頂いております。
 去る2001年12月の合同特別演奏会では、モーツァルト/交響曲第17番を振って頂きました。
 今回は、団員も知らない乾先生とアンサンブルSAKURAとの馴れ初めから、SAKURAへの熟き想いを語って頂きました。


 
 
 10年ほど前、指揮の勉強を本格的に始めたばかりのころであった。新宿のHMVでCDを漁っていた私は、店内に貼られていた1枚の広告の前で足を止めた。
「…『英雄』…宇野功芳(ってあの有名な評論家の…、)…アンサンブルSAKURA?????」広告に書かれていた曲名と指揮者名はすぐに理解できた。しかし、「アンサンブルSAKURA」とは??「…アマチュアオケなんだ…で、CD販売の予約広告…何だかスゴそうだな…??」これがそのとき抱いた印象のすべてであった。神ならぬ 身、その「SAKURA」が「人生の転換点」を演出する存在になろうとは、そのときは万分の一も予期していない私であった。
 
 1992年から10年にわたり、私は北海道女満別 (めまんべつ)町で行われていた「オホーツク国際音楽セミナー」に毎年参加し、「小林研一郎指揮法講座」を受講していた。「炎のコバケン」と呼ばれる小林研一郎先生のご指導は大変厳しく、先生の前に出て指揮を見ていただくのはほとんど命がけ…。しかし、それが故に大変充実した講習会であった。
 このセミナーを支える重要な立場を務められていたのが、小林先生の一番弟子である高石治先生であった。
 小林先生の厳しいご指導の前に、立ちすくんだり戸惑ったりしてしまいがちな受講生に対して、小林先生がどのようなことを思い、どのようなことを感じているかをわかりやすく説明してくださる高石先生は、その時々において「救いの神」であった。
 このセミナーのクロージングには受講生による合唱披露があり、その際の指揮者はある種のオーディションで選ばれたのであるが、その「審査員」も高石先生であった。2回目に受講したとき、私も思い切ってこの「オーディション」を受け、高石先生の「よし!」という一言でクロージング指揮者に選ばれたのだが、そのときの誇らしい気持ちは今でも鮮明に思い出すことができる。
 
 高石先生の演奏会に伺い、勉強させていただこう、と思い立ったのは1997年の6月のことであった。それまで主に合唱のフィールドで活動していた私は、その年の5月、ある講習会で初めてフルオーケストラを指揮する機会を得た。そこで、それまで学んできたいわゆるバトンテクニックについては、一定の成果 を確認できたのだが、オーケストラに関わる諸々の事項について、知らないことが多すぎるという現実も、また同時に実感させられたのである。そんな折、高石先生が指揮される演奏会が開かれることを知り、私は中野ZEROホールへ駆けつけたのである。
 指揮者とオーケストラの間に、どのようなことが起さているのか、耳をそばだて、目を皿のようにして過ごした後、私は高石先生の楽屋に伺った。ご挨拶を申し上げ、楽屋を出ようとした私に、高石先生は意外なことをお聞きになった。
「君、オーケストラ振ったことある?」
「…え…講習会でなら振ったことありますが…」
「『運命』なら女満別 でも振ってるから、振れるよね?」
「…え…触れる…んじゃないかとは思いますが…」
「じゃあ、来月『SAKURA』っていうオケがあるんだけど、そこで練習やってくれないかな?」
思いもかけないお話であった。
 オーケストラが指揮できる!! 私は全身の血が逆流するような、異様な興奮状態に陥ったままホールを出た。中野駅までのほんの数分間の道のりは、頭と体をぐるぐる回る様々な想いによって何十キロにも感じられた。
 それからの一月、私は初めてブライトコップの指揮者用大型スコアを買い、必死に勉強した。そして、私がSAKURAの皆さんの前に立つ、その日がやってきたのであるが、私にとって「オーケストラの指揮者」としてすごした初めての時間であったはずのその時、どのように振ったか、何を言ったか、あまり良く思い出せないのである。あまりにも、あまりにも緊張していた…からであろうと思う。与えられた時間が終わったとき、団員の皆さんが「いや〜〜、今日は疲れたな…」と語り合っていたことだけはなぜかはっさりと覚えているが…。
 
 あれから10年、SAKURAの皆さんとはいろいろな機会にご一緒させていただき、さまざまな勉強をさせていいただきながら今日にいたっている。私は「SAKURA育ち」の指揮者であることを肝に銘じているし、誇りにも思っている。が、振り返ればいったい、今までにどれぐらいのご迷惑をかけてきたことか…
 SAKURAの皆さんは今日までいつも暖かく見守ってくれたが、今思うと赤面 の至り、そんなことばかりである。
 SAKURAの前に立つとき、私は今でもとても緊張するのである。時にプロのオーケストラの前に立つ機会をいただけるようになった現在でも、SAKURAの練習場でチューニングが始まるときほど緊張することはない。「初心」を思い出させてくれる瞬間が、そこにはあるのだ。あの日、高石先生を訪ねなかったら、そしてSAKURAに出会わなかったら、オーケストラを指揮できる現在の私はいなかったであろう。私の今日あるは高石先生、宇野先生、団長の増田さん、そして団員の皆さんのご指導のたまものだと思っている。ここに改めて 感謝を申し上げる次第である。
 
 この10年、SAKURAの演奏は着実に進化し続けている。そして、本来であれば若人にだけ許されているはずの、音楽に対するひたむきな情熱は、時の流れの中で失われるどころか、むしろ高まり続けている。大人のクールと若者のホットを併せ持ち、「本物」を追及して止まないSAKURAの今後の進展を、SAKURAに関わる一人の音楽人として、また一人のSAKURAファンとして、大いに期待したいと思う。

前のページへ戻る
ページトップへ戻る