演奏会のプログラムから
 

1930年、東京に生まれる。国立音楽大学声楽科卒業。1953年より評論活動を始め、雑誌各誌に新譜月評寄稿する。また、今年(2005年)執筆活動50年を迎えた。その著書は多数。

指揮活動は、跡見女子大学合唱団常任指揮者をつとめる他、オーケストラを定期的に指揮し、その演奏はCD化されている。近年はアンサンブル・フィオレッティとの共演も好評を博し、話題を呼んでいる。
アンサンブルSAKURAとは過去7回の演奏会を経て、今回のドヴォルザーク/交響曲第9番「新世界より」は初のドイツ物以外の挑戦である。
 
 

今回SAKURAではドヴォルザークの新世界交響曲を取り上げます。その意味で前回などとは、また志向が違 うように思われます。先生は今までずっとドイツ物を指揮なさってきたと思われるのですが。
宇野先生(以下U):僕は日大オケ関係ではドイツ物しか指揮していないと思います。ドイツ物しか振らないと思われているくらいですよね。自分でもついそれにはまって、ドイツ物から一生懸命選ぶようにしていたんだけど…考えてみたら「幻想交響曲」がSAKURAに合いそうなので、最初それを予定していたんです。でも時間やホールの問題もあって、先に延ばすことになりました。そこで「幻想」から類推して、ドイツ物にこだわらず、自分の振れるものを考えると、「新世界」ということになりました。お客さんも喜びますしね。
 ただやってみて、「新世界」という曲は二流くさいところがたくさんありますね。最後の終わり方なんて二流としか言いようがない(笑)。こんなこと言っちゃ悪いんだけどね。良くできているのは第一楽章。これは本当に古典で、ソナタ形式がしっかりしています。どこへ出していっても恥ずかしくない。第二楽章もまあムードがあって良い。スケルツォも主部はとっても良いです。ただ第二トリオはなんとも情けない。主題に魅力がないんだな。だからあそこは反復しません。
 問題は第四楽章。最初は素晴らしいでしょ…あれを絶対再現させなければいけない。最初のテーマを展開して、普通 のソナタ形式にすれば良かったんです。ところがドヴォルザークは、1〜3楽章までの主題を回想することを考えちゃったんだな。これは当時流行っていた手法なんです。それに神経を使うあまり、ソナタ形式の構成が崩れてしまった。回想する必要なんて無いし、音楽的必然は全く感じません。そうではなく、本当に厳格なソナタ形式にしていたら、あれは名曲になっていましたよ(笑)。惜しいなあ…。コーダに行くに従って音楽が薄くなっていきます。
 
 もうひとつ感じるのは、古典派では、テンポの変化が全く指示されてませんし、pとfぐらいしか書かれていませんが、ドヴォルザークの頃になると、テンポ変化など、細かく指示されていることです。あれは当時の演奏様式なんですよ。ドヴォルザークは自分でも指揮するし、「自分が指揮するならこういう風にやりますよ」という指示なんです。マーラーなども同じです。それにとらわれる必要は全くない。僕の場合はまず、インテンポの曲として考えて、テンポ落とせと書いてあっても、それが実際に良いかどうか考えます。だから自分としても、けっこう再構成しているわけです。一番良いのは僕が編曲することだな(笑)。本当のソナタ形式で回想しないでね…。僕ができないんなら、他の作曲家に頼んでやってもらったら、素晴らしいものになると思うななあ。みんな断ると思うけどね(笑)。
 
そう考えますと、あの曲が名曲だって言われるのは、名旋律があるからなんでしょうね。
U:そうです。すごいメロディストですよ。あんなきれいな施律はなかなか書けないし、「新世界交響曲」が後世に残っているというのは素晴らしいことです。そういう才能はすごくあると思います。ただ構成的に見ると、同じロマン派でも、ブラームスなんかはがっちり厳格に構成しているわけでしょ。ドヴォルザークもブラームスみたいな形で第四楽章を作っていてくれたらねえ…。それだけが惜しい。
 
そういった意味では、曲がシンフォニーというよりラプソディーみたいなところがありますから、弾きやすい気もします。
U:そうですね。指揮者としてもすごく楽ですね。モーツァルトやベートーヴェンなどの古典はインテンポが基本なんです。だからテンポを変えないで演奏すれば、ミスは出にくいし、ある程度は満足させられるんだけど、今はそういう演奏があまりにも流行しているから…。僕は物語風にロマン派風に古典を演奏したいんです。そうすると多少テンポをどこかで操作しなければならなくなる。そこで綻びがでやすい。だから、指揮者にとってはすごく難しいんです。けれど、そこにこそやりがいがある。僕がモーツァルトやベートーヴェンを好きなのはそこなんです。
 ところが「新世界」なんかは、指示を守ろうと守るまいと、他のところでテンポを動かそうと、形は全く崩れないですよ。最初から曲が崩れているんだもの。最初から伸び縮みしているわけです。そういう意味ではとてもやりやすい。どうでしょうか、オーケストラとしてもブラームスの「1番」をやったときより、仕上がりが早い気がします。それだけ易しいんじゃないのかな。聴く人も喜んでくれて、弾くのも指揮するのもやさしいならこんなに良いことないんじゃないですか(笑)。
 

U:次にレオノーレ序曲2番について話そうかな。ベートーヴェンは同じオペラのためにたくさんの序曲を書いているけれど、その中で僕は、「フィデリオ」と「レオノーレ」2番が好きなんです。「フィデリオ」は一回やっちゃったから…。長いものでは「レオノーレ」3番が完成形で、みんな取り上げます。でも僕なら2番をやる。ただ完成形ではない。しかしそこはベートーヴェン、荒削りだけど、凄い魅力がある。それに比べて3番は形がガタピシしないで、どこにも文句は言わせないというところがあるね。ところが2番はまだ未完成。そこに僕は魅力を感じるんだ。
 
最初3番をずっと聴いてて、後になって2番を聴いたとき、なにかへんてこな感じがしましたけれど、2番を聴き慣れた後だと、3番はおとなしい曲に感じました。
U:僕もそう思います。それだからこそ、この際2番をね。レコードの数も少ないし、第一演奏会でもやらないですよね。3番ばかりでね…。前から絶対やりたいと思っていたんで、今回できて嬉しいですよ。魅力たっぶりの曲ですね。
 
SAKURAではやりやすい曲ではないでしょうか?
U:ええ、SAKURA向きの曲ですよ。多少ガタピシしても、曲がガタピシしているからね(笑)。角だらけの曲ですから、角を削らないように演奏したいですね。終わり方なんかもおもしろいね。突然弱くなっちゃって…どうなっちゃうのかと思うよ。
 

次にモーツァルトの交響曲「25番」についてお伺いしたいですね。
U:「25番」これはモーツァルト17歳の作品です。17歳であんな音楽を書いた作曲家は他にいない。あとはシューベルトが18歳で「魔王」を書いているくらいです。これも凄い才能ですよね。
 この作品は、ティンパニが入つていない。でもホルンが4本というのは不思議です。曲自体はバロックの影響を残した古典の形で書いてあります。こういう曲を大編成でやると普通 、曲が負けちゃうんですよね。ハイドンも大編成でやると負けてしまう。けれども、この曲は大編成でも負けない。内容も凄いですね。だけどこの後、彼はつまらない曲をかなり書いている。ヴァイオリン協奏曲なんかは19歳の作品ですけれど、19歳の少年の作でしかない。ところが17歳の時の「25番」は大人の音楽なんです。
 
  一音符として無意味な音は存在しない。もちろんモーツァルトは天才ですから、他の曲も一言として無意味な音はないわけですけど、あの時代のものは内声など、もっと薄かったりするんですよ。ところがこの曲は内声までも、すごくきっちり書いています。メヌエットなんかも魅力的であり、また熾烈な真実の祈りや苦しみ…そういったものを僕は感じて仕方が無い。第四楽章はとても不気味です。展開部なんかは、半音階で上がりながら落ち込んでいくわけでしょ。あれもねえ〜少年の感情ではない…。あれでは35歳までしか生きられな いわけですよ(笑)。
 
先生の演奏は他の演奏に比べて、策1楽章からかなり速いと感じました。
U:あれはのんびりやってはダメです。バロック風にやってはいけないし、18世紀の典雅な、エレガントな、ロココの音楽だなんて言ったらもう失敗。あれは思いつめた音楽です。思いつめた音楽だから、思いつめた演奏をしなければいけない。
 
第一楽章の冒頭からいきなり、激しく感情を出していくような音楽ですよね。
U:そうです。いきなりのシンコペーションでね…。あそこもシンコペーションをはっきり聴かせようとすると、古楽器的になってくるんです。いかにも、これが動機だというようなね…。そういう演奏をしてはダメですね。できたらもっと弦の編成を大きくして、レガート効かせて、厚みを出してやりたい。
 
そういう風にやっても負けない曲ですね。
U:そうです。スキスキの演奏には絶対したくない。今は古楽器の指揮者がみんなそういう演奏をします。
 
古楽器の演奏はあまりお好きではないですか?
U:だけど、古楽器もとてもおもしろいですよね。おもしろいけれど、それが最高ではないと思う。例えば、「ジュピター」や「40番」も現代楽器のフル編成でやりたいなあ。そういう音楽だもの。当時の聴衆が「25番」や「40番」をいきなり聴かされたら、ぶったまげちゃうと思うよ。気が狂った音楽としか思わないですよ。アーノンクールがなかなか良いことを言っていてね。あの時代の聴衆が初めて聴いて受けた衝撃を、現代の聴衆にも与えなければいけないと言っています。でもその割に彼の演奏は良くないですね(笑)。変なところを凝って、びっくりさせようとするけど、根本に流れているものがびっくりさせない。ただ彼の言っていることは素晴らしいと思います。
そういう使命感でせひ僕らも演奏したいですね。
 

最後に前回の演奏についてお伺いしたいですね。例えばシューベルト(交響曲第9番「グレート」)など…。
U:前回の演奏は今までのSAKURAの中で一番良かった。特に客席で聴いた人は「グレート」は最高だったと言ってくれました。もちろんCDで聴くとアラが見えるのは当然なんですがね。SAKURAはやっぱり客席で聴いてほしいなあ。今回の演奏だってそうです。おそらく「25番」にしたって、CDではカットすることになると思いますよ。モーツァルトはマイクを通 して聴くと、ちょっとした音程のズレなんかが気になってしまうんです。レオノーレと新世界はCDにしても大丈夫だろうけど、モーツァルトは客席でしか聴けないのでね…。
 
前回はモーツァルトの「40番」も客席では素晴らしかったと耳にします。
U:そうですね。あんなのは聴いたことがないと言ってくれました。でも録音を通 して聴くとイヤでしょ(笑)。アラが目立つんですよ。
 
その意味でシューベルトはとっても良いですね。CDで聴いても…。
U:そうです。あれだっていろいろ問題があるけれど、曲のつくりがモーツァルトほど純粋ではないですから、アラが目立ちにくい。もともと僕は「グレイト」という曲をそれほど買っていなかったんですけど、自分達でやってみると凄い曲だなと思いましたね。それだけの演奏を他では聴かせてくれていないですよ。CDでもいろいろな演奏が出ていますけど、SAKURAのは特に良い方じゃないのかな。
 
あれだけのスケールはなかなか出ないですね。
U:ええ、出ないですねえ。あれは凄いと思ったな…。最初はSAKURA向きの曲だとは思わなかったんだけれど、ぴったりはまったな…。願わくはドヴォルザークでもそういう演奏してほしいですね。
 
ありがとうございました。
 
(聞き手:高見具広/文:白井伸樹・渡辺真史)

本日の演奏会はお楽しみいただけましたか?
今回のプログラムでは、初の袋とじに挑戦いたしました。その訳はインタビューをご覧になればお解り頂けると思います。そう、今回のインタビューには演奏の手がかりが満載だったのです!…ね?演奏前に読まなくて正解だったでしょ!


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