演奏会のプログラムから
 

1930年、東京に生まれる。国立音楽大学声楽科卒業。1953年より評論活動を始め、雑誌各誌に新譜月評寄稿する。その著書は多数。

指揮活動は、跡見女子大学合唱団常任指揮者をつとめる他、オーケストラを定期的に指揮し、その演奏はCD化されている。近年はアンサンブル・フィオレッティとの共演も好評を博し、話題を呼んでいる。
アンサンブルSAKURAとは過去8回の演奏会を経て、今回のベートーヴェン/交響曲3番「英雄」は3回目の挑戦である。

 
宇野先生とSAKURAとの初共演(1996年7月、ベートーヴェン「エロイカ」他)以来、今回で6年目を迎えることになりました。その辺りについて先生のご心境からお聞かせ下さい。
宇野先生(以下U):そうですね、まず感じるのは、もうそんなに時が経ってしまったのか…ということですね。あの「第9」を演奏したのがもう1年前のことになるとはとても思えないです。あれからまだ1日か2日くらいしか経っていないような感じです。
それにしても最近、歳をとればとるほど月日の流れを早く感じます。
 
初共演から現在にかけてのSAKURAとの思い出、印象に残っていることは?
U:最初の時はとにかく懐かしかったです。'81年、日大オケ初共演の時のメンバーが多かったですからね。当時は、はっきりいって下手だったけど、ものすごくインパクトが強かった。後のメンバーがそうでないというわけではないけれど、やはり当時のメンバーとはすごくウマが合いましたね。女性のあるメンバーが、練習の合間にまるでずっと昔から知っていたかのような感じで話しかけてきた。何ともいえない雰囲気でしたね。
それはともかく、SAKURAはこの6年間にだいぶ上手になりましたよ。特に良かったのは「第5」と昨年の「第9」だったのではないでしょうか。「第5」は今、録音で聴いても素晴らしいと思います。作品自体が我々の演奏のスタイルとうまく合ったのではないでしょうか。「第9」のCDも誇りを持っていいと思います。もちろん録音で聴くとやりすぎもあるし、下手なところもあるけれど、あそこまでえぐってもちゃんと音楽になっていると思いますから…
「エロイカ」に関しては、僕としては第1楽章は1回目('96年)の演奏が良かったと思います。とにかくメンバー全員が無心で音楽に没入していましたからね。第2楽章からフィナーレにかけては、大阪での演奏(2000年)の方がオケが上手くなったことがプラスになっていたと思います。ただ作品自体のスタイルとの関係で言えば、「第5」に比べると「エロイカ」では持て余してしまう部分があることも確かです。もちろん、僕の責任ですがね。とはいえ、「エロイカ」はもう1回やってみてもいいとは思いますね。
 
宇野先生は新星日響などプロのオーケストラも指揮されていましたが…。
U:プロのオケのあるメンバーから言われたことがあるのですが、指揮者というのは自分のやりたいことの3割が出来れば上々だ、ということです。でも僕は3割じゃなくて7割やってる…ということらしいです。それでも、やりたくても出来ない部分、妥協せざるを得ない部分が出てきてしまうんですけどね…。
指揮者にとってオーケストラが上手いのは有難いんですよ。下手なのは大変だし、手を焼きますからね。しかし何よりも「燃える」ということがSAKURAの良さでしょう。
そういえば、日大のオーケストラも昔に比べるとかなり上手くなりましたよ。けれどもその上手さはどこかよそゆきな印象も受けますね。
日大ではブルックナーの「第8」と「第9」も演奏しました。しかしその時は、上手さがブルックナーにはプラスになりました。ブルックナーだから成功したと言えるでしょう。
 
SAKURAとはこれまで全てベートーヴェンを取上げてきたわけですが、今回は初めてモーツァルトとブラームスに取り組むことになりました。

U:新星日響とは一番やりたいモーツァルトということで40番を演奏したのですが、「ジュピター」は今回が初めてになります。モーツァルトの音楽はやはりベートーヴェンとは違いますよ。作品自体がものすごく高級なんですよ。クラシックなんです。だからオーケストラの音楽性がもろに出ますよ。
今の時点(4月の合宿)ではSAKURAはまだモーツァルトをわかっていないかなぁ…。
例えばペーター・マークやトマス・ビーチャムなんかはすごく表情をつけて演奏しているけれど、指揮者が外側から表情をつけているというのはどうもねぇ…。バーンスタイン/ウィーン・フィルはさすがに素晴らしいですが、それでもやはりどこか作り物のところがありますね。そう考えるとやっぱりワルターが一番だと思います。
一方、ブラームスはやっぱりロマン派の音楽であることを強く感じます。モーツァルトやベートーヴェンといった古典派とはかなり違いますよ。自分の土俵ではないような気もします。僕はよく誤解されるんですよ。「宇野さんだったらワーグナーとかチャイコフスキーの悲愴なんかやればすごいんじゃないか」とか言う人がいるんですけどね。僕は自分を古典派の指揮者だと思っていますから。古典派の作品は形式、造形がしっかりしています。その枠をはみ出しつつ演奏するのが僕のやり方なので、作品自体の形式がもともと崩れているようなものは、少しやりにくいという気はします。ロマン派の作品はむしろ引き締めたくなるくらいですね。ブラームスの「第4」なんかは絶対にやる気にはならないですよ。もちろん、あれが好きな人もたくさんいるんですけどね。僕のスタイルとは違いますから…。ブラームスの中ではこの「第1」なら、という気はしますし、僕はこの曲をベートーヴェンの「第10」として演奏したいです。

どうもありがとうございました。
 
(文責:渡辺真史)

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