ベートーヴェンの交響曲のなかで最も振り甲斐があるのは、3番、5番、9番であろう。しかし、3、5の2曲についてはやっとある程度の目処がついたが、第9は依然として難物だ。演奏機会も少ない。ぼくは今回が6度目の挑戦だが、第1楽章が問題なのである。拡大されたソナタ形式で、はっきりとした第2主題を持たず、その少ない素材を使ってスケールの大きい後期ソナタ形式を築き上げている。展開部にはフーガさえ出てくる。まさに宇宙的な、あるいは哲学的な深い内容持った傑作だが、指揮者にとっては眼前に巨大な壁が立ちふさがっているようで、押しても引いてもびくともしない。スコアに書いてある通
り速いテンポでスッキリ運べば何の問題も起こらないのだが、それでは耳の肥えた聴衆を感動させることは出来ない。内容を抉り、立体的な音作りをしようとすれば、どうしても動的なドラマが必要であり、びくともしない巨大な壁を動かさなければならない。それには人間業を超えた力が必要なのである。 第2楽章はスケルツォだが、ぼくは牧歌的な中間部が好きだ。特に中間部の終り、幸せの鐘が鳴り、名残り惜しげに主題の戦いの場に戻っていく直前は本当にすばらしい。 第3楽章は世にも美しい変奏曲で、崇高な第1主題もさることながら、幸福な第2主題の歌は言語に絶する。でも夢は長くつづかない。終結部に近く、ベートーヴェンは自らに警告を発し、魂のおののきのあと、再び幸せな戻ってきたように思うが、それは束の間、音楽は満ち足りない心を抱えつつ、最後の和音はいちばん上がドミソのミで、完全終止しないまま終る。そういえば、第2楽章の最後もだんだん弱くなって、終った感じがしない。ベートーヴェンは第4楽章の頭で、今までの3つの楽章の主題を回想し、それをチェロとコントラバスがしゃべるように否定してしまう。「これは自分が求めている音楽ではない」と。だから第2楽章も第3楽章も完全終止しなかったのだ。ぼくはその作曲者の意図を拡大し、第1楽章の終結でも不安感を出すようにした。どうぞご静聴ください。 第4楽章では今までの楽章否定の場面
に新解釈を施すが、それは聴いてのお楽しみ。合唱団は本来最初から舞台に立つべきだが(途中で入ると演奏が中断される)、疲れるので、やむなく終楽章の前に舞台を暗転して入場する。独唱者は歌う直前に登場するが、普通
は第2楽章のあと入場することが多く、それでは拍手が出たり、のどの調子が悪くなったり、良いことはない。 ライヴで接するこの歓喜の楽章のすばらしさは筆舌に尽くしがたい。そして最後はオーケストラだけが猛烈なスピードで突き進み、大爆発を起こして、やっと第9が完全終止するのだ。だからここは、オーケストラが弾けないくらいの速いテンポで崩壊寸前の演奏をしなければならない。
最後に今回の「第9」にコンサート・ミストレスとして特別
出演して下さる佐藤慶子さんに心からお礼を申し上げます。新星日響との10年間、そして2005年の大フィル公演でもお世話になった佐藤さんとはツーカーの仲で、彼女のようなプロがアマチュア・オケのコン・ミスをつとめてくれるのは前代未聞といえましょう。ありがとうございました。 |