香 水
ヴァイオリン 増 田 ますみ  
   
 19時を過ぎた頃、ホールの周りは、さながらパーティー会場の様に華やいでいました。そこはまるで別 世界のように見えて、近づくのが怖いくらい…。 石の階段を登りロビーに入ると、美しいドレスを装った女性たちが、背の高い紳士にエスコートされ、シャンパングラスを片手に談笑していました。
 ざわめきの中をフワフワと歩いていると、まるで自分が透明人間になったかに思えました。シャンデリアのきらめき、シャンパンの泡、初めて触れた大理石の支柱、只々ぼう然とその場に立ちすくんでしまったのです。
 そんな時、私の横を深い緑のロングドレスの女性が通り、“はっ”として我に返りました。
 ボーッとしていた頭に、冷たい雫が一滴落ちた様でした。その女性から漂う香りは、不思議な力でまわりの誰もを霧の様に包むと、そのままホールの中へと導いてくれたのです。

 1985年5月、バイエルン州立歌劇場、カルロス・クライバー指揮、オペラ『椿姫』を観に行った時の一コマです。その後、私は椿姫を見る度に必ずあの香りを想い出します。そして、今でもその香水の香りに出合うと、はっきりとあの時の光景が眼に浮かぶのです。
 香水の名はPoison(毒)と言う名で、同年の新作でした。
 あれから20年…。忘れられない記憶です。

第19回定期演奏会(2005年9月)のプログラム(「椿姫」を演奏)に掲載されました。
 写真:バイエルン州立歌劇場にて


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