始まりは福島氏の好奇心から
 
 平成元年1月。福島氏は奈良国立博物館に国宝として保管されている「金光明最勝王経」を拝観する機会を得ました。
 そこで千年余を経て重厚さ保ち、燦然と輝く紫紙金字「金光明最勝王経」に驚きと感激を味わいました。
 小学生の時から日本有数の蘚苔類学者であった上村登 (かみむら みのる) 理学博士に師事し、当時わが国最初の植物学書『菩多尼訶経』の復刻と書写 に取り組んでいた福島氏は、この金泥で『菩多尼訶経』を書きたいと強く思いました。
 しかし「金光明最勝王経」は国宝で、原物を損ずる恐れがあるため科学的な検査を施すことができず、紙の種類すら確定されていませんでした。

 そこから福島氏の手探りでの金泥書法復元への試みがスタートしました。
 金粉を練るための膠溶液の濃度や、文字を書くための筆の選定、そして筆への金泥の含ませ方や筆使い、書いた金の文字を磨く作業など、試行錯誤を繰り返す一方で電子顕微鏡等を使った科学的な考察も行いながら、福島氏は数多くの金泥による書写 を行いました。

 平成4年、福島氏は郷里である高知県伊野町に新しく完成した紙の博物館の展示会場で「古典と金泥書の世界」と題した展示会を開催しました。
 個展は、友人・知人・書道関係の人達が大勢見えられ大盛況でしたが、福島氏はそこで、当時、高知県立紙業試験場の主任技師であった大川昭典氏を紹介され「作品の用紙が天平時代の紙とは違う」という指摘を受け、楮の標本を頂き「打紙」と言う加工法のあることを教えられました。
 福島氏は、当時の金泥の技術に近づくためには、紙についての研究と、紙を加工する方法の解明が必要であると考え、天平時代の紙について、史書・古文書をひもとき、考えられる紙加工の作業を自ら行い、その過程で紙質の変化を、光学顕微鏡写 真・電子顕微鏡写真・物理試験により調べるなど科学的な検証を加え、紙質の検査・検鏡には大川氏のご協力をあおぎながら本格的な研究を続け、現在に至っています。

 このように、福島氏の金泥書法の復元への歩みは、子供の頃に夢中になった植物学によって培われた「好奇心」によって導かれて来たいえるでしょう。

 
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